酒飲みたい

どうもうまくいかんのじゃよ。なにが。なにが、て外出です。外出すると生活のペースが乱れるのじゃよ。世間とうまくやっていけんのじゃ。それで、ついついビールを飲んでしまうんだよね。これが困る。なんで。なんでて、飲んだら酔うやろ。それがあかんねん。物事がだんだん面倒になって動作が乱雑になり、粗暴の振る舞いが多くなって、ついには自暴自棄になって死にたくなるんだ。だから僕はなるべく飲酒量を制限するのさ。はは。

ーー町田康、2003、『へらへらぼっちゃん講談社文庫、64頁。

 

私の父親、そして父方の家系は、みな酒癖が悪い。

父親は、齢五十を過ぎた現在でも、酒量の調整が下手だ。つい先日も、職場の飲み会から泥酔状態で帰宅し、暑いと喚き散らしながら下着一枚になるまで服を脱ぎ捨て、そのままソファに倒れ込んで眠りに就いた結果、インフルエンザに罹った。ただの阿呆である。勿論、本人は自分の奇行の一切を記憶していない。恐らく、父親の体内には、アルコールの分解と並行して、都合の悪い事情を脳外へと排出する、何らかの特異なシステムが備わっているのであろう。

私の母親は、父親が酒で失敗をする度に、私に向かってこう不満を漏らす。もしも交際時点で父親の酒癖の悪さを知っていたとすれば、自分はこの相手と結婚していなかった、と。これが意味するのは、酒癖の悪さをひた隠そうとする父親の努力抜きには、私は誕生し得なかったという事だ。酒と父親との間で繰り広げられた闘いの派生物のようなもの、非合理性に対する合理性の勝利こそが、どうやらこの私、この人間らしい。

叔母も、夫から離婚を切り出されるぐらいの酒癖の悪さである。言うまでもなく、祖父も、叔父も、大酒飲みである。年始になると、父方の親族が一同に会し、夕方頃から深夜まで延々と酒宴が開かれる。何しろ、この場の構成員はみな酒癖が悪い。一般に、集合体というものは、個人を超えた何らかの超越性、特異なエネルギーを秘めた性質を有する。酒癖の悪い人間同士が、延々と酒を飲み交わし続けると、当然、化学反応が生じる。喧嘩である。なぜ喧嘩が生じたのか。誰が喧嘩を始めたのか。一切の始点が不明瞭である。ふと気が付くと、大抵、父親と叔父と祖父の三人が、口角泡を飛ばし合っている。彼らの様子を傍観する他の親族も、一様にアルコールで酩酊した顔を、互いにぼんやりと見合わせるだけである。ただ、何の意味もなく、<喧嘩>という観念物だけが、酒席という空間に宙吊りにされている光景に、いつも私は一人、置いてきぼりであった。

 私は、幼少期から、この集まりがたいそう苦手であった。みなが顔を赤らめ、木の洞の様な目で周囲を見渡し、大声で騒ぎ立てるこの場から、一刻も早く離れたくてしょうがなかった。やがて自分も年を重ね、この場を占める一員となる事が、とにかく恐ろしかった。醜態を晒してまで、なぜ彼らは酒を飲み続けるのかが、幼い頃の私には全く理解出来なかった。「彼ら」のような姿に成り果てるぐらいであれば、最初から酒なんて代物は突っぱねてやればいい。私は、酒なんて要らない。こんな大人になりたくない。そう考えていた。

 

私も、大人になった。いつの間にか、私は、かつての自分が唾棄していた「彼ら」に成り下がっていた。

私の頭の中では、酔生夢死の四文字が、常に木霊している。行きつけの居酒屋やバーで酒に酔い、上着スマートフォンを置いたまま帰宅し、店主に迷惑も掛けた。SNSやメッセージアプリに妄言を投稿し、起床後、スマートフォンの画面に並んだ、全く身に覚えのないそれらの言葉を機械的に消去する作業を繰り返し、自己嫌悪に陥る事も日常茶飯事である。この悪癖のせいで、何度か人間関係も壊した。夜通し酒を飲み続け、仲間と談笑し、始発に飛び乗る生活にも慣れた。清々しい朝の青空の下、隊列をなして一様に駅へと急ぐ通勤客の姿を横目に、まだ抜け切れぬ酒の臭気を漂わせながら覚束ない足取りで家へと「逆行」し、帰宅後は雑にシャワーを浴び、そのままベッドに倒れ込んで夕方まで死んだ様に眠る事も多い。

この有様である。私も、父親、そして親族同様に、「酒癖の悪さ」という遺伝子の贈り物の継承者らしい。

 

人間は、生きねばならない。生の至上目的とは、生きる事そのものである。発狂、自殺は御法度である。私は、飲酒という行為以外に、肥大化した自意識の希釈方法を知らない。漫然と広がる不安感を堪え、眠りに就く方法を知らない。満員電車に押し潰され、肉塊にされる暴力性から目を背ける方法を知らない。愛も、信仰も、セックスも、依存先としては不適格だった。私という人間は、他者、そして世界に対して、自らの救いを仮託出来る程度の愛着すら抱く事が出来ない欠陥商品らしい。

徐々に、酒に手を出す理由そのものが曖昧なものに変化し、ただ惰性で酒を飲むようになっていた。酒を飲む為に労働し、労働する為に酒を飲み、酒を飲む為に生存し、生存する為に酒を飲む。このスパイラルに捕囚され、飲酒という手段と飲酒をする目的が、坂を転がり落ちる石のように、コロコロと表情を変えるようになった。なぜ自分は酒に手を出すのか。酒に浸る事で、何処から逃避しようとしているのか。酩酊した役立たずの頭を抱えながら、こうした問いを自分に問いかける事すら疎ましく思うようになった。

 

しかしながら、ある時、私は気付いた。どうやら、セックスをした日に限って、自分の酒と煙草の消費量が変に増加しているらしい。射精し終えた男を脇にどけ、ラブホテルの天井を見つめながら呆けていると、男がこう言った。

「顔色悪いけど、大丈夫?」

その場は適当に笑って誤魔化してみた気がするが、考え直せば、彼の発言は、自分のセックス後の抑鬱症状が、表情にまで染み出している証左であった。私には、セックス後に強烈な抑鬱感に襲われる事が度々ある。これは一日のセックス回数が多ければ多いほど如実であった。射精、オーガズムというテロス、快楽の絶頂を経た後に残されるもの、それは弛緩という苦痛である。この気分の落ち込みを、喫煙と酒という別種の快楽を用いて緩和させようとした結果が、セックス・酒・煙草という三つの嗜好品の消費量の同時的な増加に関係しているらしい。勿論、ニコチンとアルコールという快楽を享受すれば、その代償として、再び抑鬱気分に襲われる。ただの阿呆である。

快楽を買う為に、苦痛を支払い、快楽が尽きれば別の苦痛を売り捌く。楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。見知らぬ他者と、快楽/苦痛の支払いのやり取りを繰り返す内に、私は、快楽と苦痛の差異を見失うようになっていった。シラフの苦しさに耐える精神性の欠如を、快楽に酩酊することで取り繕おうとした結果、自分のシラフの顔そのものが、徐々に霞み始めていた。単純に、このままの勢いで坂を転がり落ちてしまったら、坂を這い上がる腕力自体が無くなってしまう。急に危機感を覚えた。

 

 こんなそんなで、快楽と自己の関係性について考えあぐねていた時、一冊の本が目に入った。『しらふで生きる 大酒飲みの決断』という、一見すれば自己啓発本めいたタイトルの本を手に取った理由は、本書の作者があの町田康だったからである。

町田康といえば、あの伝説的パンクバンド「INU」のボーカリスト町田町蔵に他ならない。「俺の存在を頭から打ち消してくれ」と叫ぶ、まさにシラフの真骨頂のような彼が、よりによってどうして、このようなタイトルの本を出版するのか。こんな疑問に駆られ、本書を開いた途端、たまげた。まさか、彼が極度の大酒飲みであったとは思いもよらなかったからである。

 

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふで生きる 大酒飲みの決断

  • 作者:町田 康
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 単行本
 

 

町田が長年の飲酒癖と別れを告げることに成功した理由、それは「気が狂っていたからだ」という極めて不明瞭なものに留まるものであり*1、本書はけっして具体的な禁酒のハウツーを提示するスタンスの書物では全くない。本書の魅力は、飲酒欲との強烈な葛藤の末に編み出された彼の人生・幸福論が、彼の軽妙洒脱な語り口とともに味わえる点にある。

本書にて、町田は、飲酒者が飲酒に至る過程を独特のロジックで展開しつつ、飲酒脱却のための手法として、自己についてのありとあらゆる認識改造を提示していく。中でも、私の目を引いたのは、「人生はそもそも楽しくない」という前提で生きる、という認識改造である。

日常からかけ離れた高負担の動きを求められるスポーツ選手たちが、大会への渡航時に、記者からの取材に対して「楽しんできます」と述べる理由を思索しながら、人間はなぜ人生に楽しさを求めるのかという点について、町田はこのように言う。

 

 ……そもそも人々のなかに、楽しむこと=善、苦しむこと=悪、という考えが言語化されない形で既に漠然とあって、それが著名な人の口から言葉として出たので急速に広がったのかも知れない。……その考えが広がった結果、人は人生もまた楽しまなければならないと、強迫的観念を抱くに至り、それはやがて、人生を楽しんだ者=勝者、人生を楽しまなかった者=敗者、という考えになり、人は競って人生を楽しもうとし、また、インターネットに写真や動画を上呈することによってそれを他に訴える・主張するようになり、それがまた強迫的な観念を亢進せしめた。

しかしこれがひとつの欺瞞であるのは間違いなく、なんとなれば本当の楽しさのただ中にあるとき、人は、自分はいまどれほど楽しいか?と考えることはないし、これを記録して証拠を残そうとも思わないはずだし、そんな楽しみは求めて、かつまた、金を払って得られるものではなく、不意に予告なく訪れるものだからである。

――町田康、2019、『しらふで生きる 大酒飲みの決断』幻冬舎、130-132頁。

 

 この町田の発言に触れ、私はなんだか目が覚めた心地がした。

私が飲酒に走るのは、自分の人生、そして世界に対する絶望が足りない事が原因である事に気付いた。絶望し切ったつもりであったが、まだどこかで、自分の人生、世界に対する期待が残っているようである。とはいえ、一切に絶望し切るという事は、虚無に身を落とす事に他ならない。同じく、町田もこのように述べている。正しい自己認識には虚無退嬰のリスクが付き纏う。これに陥らない為には、自己の価値を他者という定規で測ること、すなわち他者との比較を経て自己を知ろうとする態度をやめることが肝要である、と。町田が示す自己認識改造の究極点は、ここにある*2

 

 そうすると、そのことによってのみ、というのはつまり、他人や世間との比較や、もっと端的に言うと財産の比較に拠らない自分を知り、その認識に基づいて目を凝らし、耳を澄まして初めて見えてくるもの、聞こえてくる音に気が付く。

そのときその音や景色がきわめて尊い、価値のあるものであることに気が付けば自ずとこれを大事にしたいという気持ちが生まれ、そうなったとき私たちは、それと気が付かず、虚無退嬰からもっとも遠いとことにいるのである。

――Ibid., 159頁。

 

他者を、比較・代替可能な存在として見なす眼差し。それは、この社会システムの安定性を支える必要悪でもある。この眼差しが存在しなければ、私達の生は、脆弱で、断片的で、孤独極まりないものになり得る。しかしながら、この眼差しは、みないずれは自己の死と一人きりで対峙せねばならないという運命、そして、私達が自己の唯一性を噛みしめる場としての孤独そのものを破壊していく。比較・代替可能な存在としての私、比較・代替不可能な存在としての私。もしも、この両者の片一方だけに身を振り切る事が出来たら、どんなに楽だろうか。私は、町田のような強さを背負って生きる自信がない。いや、私は別種の強さが欲しいと思う。この両極を一身に引き受け、一人で立ち続けるという強さが。

 

 昨日も、気付けばウイスキーのボトルを飲み干していた。気付けば、セックスフレンドに連絡し、少しだけ、燻ぶった恋愛感情を漏らしてしまった。気付けば、彼からもう終わりにしようと言われた。この調子で、気付けば、私はどこかの密室で腐乱死体となっているであろう。夢うつつで現実を生きる内に、気付けば、私の片足はアパシーという深淵から引っこ抜けなくなってしまった。辛うじて、私のもう片足の痛覚は生きている。酒を片手に、狭苦しい自我に籠城せず、もっと床に散らばったガラスの破片を踏み付けながら、ダラダラと足の裏から血を流して死んでみるのも悪くはないのかもしれない。

自分という名の空間に耐えられなくなるからといって酒ばかり飲みやがって。

酒飲むな。

*1:町田康、2019、『しらふで生きる 大酒飲みの決断』幻冬舎、24頁。

*2:Ibid., 156-159頁。